『X』で検索していたところ、凄まじいtwを見た。そのtwによると、「自民党議員が『夫婦別姓に反対する』のは、『法律を知らないから』だ」とのこと。
私は、そのtwに書かれている認識は間違っていると思った。私の考えでは、統一教会(=統一協会)との関係が報道された自民党議員のうち、「夫婦別姓に反対する」ないし「夫婦別姓については先送りしたい」と表明する自民党議員は、単に、統一教会(=統一協会)の「教義」に従っているだけなのだ。当該自民党議員は、「布教活動をしているだけ」と言ってもいい。当該議員は、統一教会(=統一協会)の信者で、与党議員であるから、統一教会(=統一協会)を政治的法律的に有利にしようとしているだけなのである。
長野県の参議院議員が安倍晋三氏から「あんたは次の選挙では統一教会(=統一協会)の集団票をもらえないよ」と告げられて出馬を断念した事件からも明らかだが、統一教会(=統一協会)にそっぽを向かれると、それは議員にとって「政治生命が終わる」ということを意味する。統一教会(=統一協会)は、「当選したい」と言って自分に近づいてくる有象無象を「議員にしてあげる」のも「議員にしてあげない」のも胸三寸である。議員が政治家になりたい、政治家でいつづけたいという希望を持って自分と関係を持っている限り、統一教会(=統一協会)は、当該議員の生殺与奪権を握り続けることができる。
現在統一教会(=統一協会)の布教活動に勤しんでおられる自民党議員は、当選したいという希望を持ち、統一教会(=統一協会)と関係を持ち、「ご利益を得た」うえ、そのご利益は「いつでも統一教会(=統一協会)の気分しだいで取り上げられてしまう」状態にあるので、当該議員と統一教会(=統一協会)との関係は対等にはなりえない。議員に一方的に「借りがある」状態にあると評価できよう。上下関係がある。つまり、統一教会(=統一協会)と統一教会(=統一協会)の支援を受けた議員のあいだには、統一教会(=統一協会)の教義に反することについて「ともに話し合う」ような関係性はない。
信者以外の人間にはこうした関係は耐えがたいように思われるが、統一教会(=統一協会)と関係を持った議員の「当選したい」という希望の強さは、トートロジーのようだが、「統一教会(=統一協会)と関係を持たせる」ほど強いものなので、議員の側からすると、「まんざらでもない」関係なのかもしれない。議員の側から言えば、「統一教会(=統一協会)の教義をよいものとして、統一教会(=統一協会)の教義に従い、統一教会(=統一協会)の理想を実現するべく手足として積極的に働けば、俺の政治家でいつづけたいという望みが叶う」というわけである。保守系を自認する男性は、セクハラについて、「嫌よ嫌よも好きのうち」とよく言うが、それは、統一教会(=統一協会)と自民党議員との関係を念頭においていたのかもしれない(意外と「実感」なのかもしれない)。
憲法に政教分離を記載している国にあって、自分の信じる特定の宗教に自分の職業選択の自由や政治家という職業人としての方向まで規定されてしまう状態にあるのだから、統一教会(=統一協会)の信者である自民党議員に、我々のような「統一教会(=統一協会)や『国の中枢』とは無縁の野蛮人ども(自民党用語でいう『あんなひとたち』)」と話し合う余地などは一ミリもない。仮に当該議員が「あんなひとたち」と「話し合おうとするそぶり」を見せる場合は、我々は、当該議員が「話を聞くふうを装う」という「民主主義的パフォーマンス」を行っていると評価すべきであろう。
統一教会(=統一協会)の信者である自民党議員に向かって「法律や立法の歴史を知らないバカは困る。勉強が足りない」とおっしゃっているかたは、ぜひ、もう少し自民党と統一教会(=統一協会)の問題を勉強していただきたいと思ったしだい。
というか、日本人であれば、自民党と統一教会(=統一協会)の関係を知らないはずはないと思う。だから、あえて統一教会(=統一協会)信者の議員について「家族法分野の勉強が足りないだけ」と述べることは、「積極的なおとぼけ」「ミスリード」「デマの拡散」としか思えない。統一教会(=統一協会)信者の議員について「家族法分野の勉強が足りないだけ」と述べる人は、「政府はまともに機能している」ということをアピールしたいのだろうか? 政府のまわしものか? 自民党の工作員か?