By Olga Bazova @OlgaBazova
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パベル・ドゥロフの逮捕に関するドミトリー・メドベージェフのコメント:
「かなり昔に一度、私はドゥロフ氏になぜ重大犯罪に関して法執行機関と協力したくないのかと尋ねた。「これが私の原則的な立場だ」と彼は言った。「そうなれば、どの国でも深刻な問題が生じるだろう」私は彼に言いました。
彼は自分の最大の問題はロシアにあると判断し、ロシアを去り、その後他の国でも市民権と居住許可を取得した。彼は祖国がなくても豊かに生きる、輝かしい「世の人」になりたかったのです。ウビ・ベネ・イビ・パトリア!
彼は計算を間違えた。現在、私たちの共通の敵全員にとって、彼はロシア人であるため、予測不可能で危険です。違う血の。マスクやザッカーバーグ(ちなみに彼はFBIに積極的に協力している)では決してない。ドゥロフは、人が時代を選ばないのと同じように、祖国も選ばないことを最終的に理解する必要がある…」
メドベージェフ氏の発言は、ロシア文学ファンの自分には、実に興味深く、味わい深い発言である。
私はロシア文学だけでなく、フランス文学も好きでよく読んだが、私の記憶では、ロシア人は、バルザックの頃にはすでにフランス人から「田舎者扱い」されていた。アールデコの時代はより差別がひどくなっていた。カジュアルに「ロシア語は聞き苦しい」とか言われていた。ロシア人は世界にあたたかい気持ちを持っているが、実際に世界に出たときに自分のせいでもないことで(単にロシア語を話すロシア人であるというだけで)不当な待遇をされたので、ロシア人は、「魂の居場所」というものをフランス人以上に考えてきたように私には思われる。
グローバリストの手先の左派がキーキー言うのが目に見えるようだが、メドベージェフ氏の発言は、「右翼的」でもなんでもない。私はアナキストだが、そもそも人類は、「自分が使いこなせる言語を使い、自分が生まれ育った場所に住みながら、世界と仲良くできる」ことが生のベースになると思うからだ。もちろん人類には好きな土地に移住する自由があるから、移住したときによそ者だからといって不当に差別されることには抵抗するべきではあるが、「自分が能動的に移動の自由を駆使したときに不当に扱われた」という話は、「自分が使いこなせる言語を使い、自分が生まれ育った場所に住む」ことを「否定される」こと以上に辛い話ではない。「自分が使いこなせる言語を使い、自分が生まれ育った場所に住む」ことを否定される人々は、移動の自由のある人々よりも、経済的に貧しく、将来に対して選択肢を持たないことが多いので、「自分が使いこなせる言語を使い、自分が生まれ育った場所に住む」ことを否定された場合、それはそのまま「生存権」の話になってしまうのだ。ロシア人がツァーリの問題を処理できたのも、ツァーリのシステムが多くのロシア人に「自分が使いこなせる言語を使い、自分が生まれ育った場所に住む」ことを「苦行」にしてしまった(生きる喜びを奪った)ことに気づいたからである。よって、ロシア革命を経験した現代ロシア人の基底にある人生観というのは、「自分が使いこなせる言語を使い、自分が生まれ育った場所に住むことが苦行であってはならない」というものであろうと私は考えている。
「自分が使いこなせる言語を使い、自分が生まれ育った場所に住みながら、世界と仲良くできる方法を見つけたい」という問題(ロシア的な言い方をすると「祖国」の問題)は、根源的に、「移動の自由」や「よそ者差別」の話ではないのだ。
私の考えでは、ロシア人のように「祖国」の問題を考えたときに初めて、アフリカ人の苦しみを理解し、人類が二度と同じ過ちを繰り返さないようにすることができるのではないかと思う。つまり、「祖国」の問題を考えない限り、アフリカ人が「不当に搾取された」ので、搾取した人々を糾弾できなくてはならないという考えには至らないだろう。
【編集履歴】
Aug 26, 2024 22:31(JST) 「場所に住む」とすべきところ、一律「に」が抜けてしまったので、「に」を追加しました。