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悠仁さまは一般入試を一度も受けず難関名門高に入学…皇室でも“例外”は許されないのか?』
2024/06/15(日刊ゲンダイ)by 田中幾太郎
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お茶大付属幼稚園への入園も一般募集を通してではなかった。その前年度につくられた「特別入学制度」を使ってのものだ。
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「大学が必要と考えた女性研究員や教員の子を付属校(幼稚園~高校)に受け入れる制度です。日本学術振興会の名誉特別研究員の紀子さまは悠仁さまが入園される前年の3月からお茶大で研究を始めていた。そして同制度の適用第1号となったのですが、学内からは皇室への便宜ではないかとの声も出ていた」(お茶大関係者)
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現在、悠仁さまが通う筑波大付属高校への入学は筑波大とお茶の水女子大の間で結ばれた「提携校進学制度」を使ってのもの。両大の付属校に在学する生徒は基準の成績に達すれば、互いの付属校に進学できる。幼稚園から中学までお茶大付属に在学した悠仁さまの進学を前提として設けられた時限的な制度だ。
「できたのは悠仁さまが小学校5年の時で、当初は中学から筑波大付属に入るつもりだった。ところが姉・眞子さんと婚約した小室圭氏の母のトラブルが表面化。悠仁さまにまで批判の矛先が向かうのを恐れた秋篠宮家は特権的とも映りかねない制度を使うのを避けた」(皇室記者)
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悠仁さまが10年以上かけた秀作「トンボの論文」で東大入試に挑むのがナゼ不公平と言われるのか?』
2024/05/11 06:00 (日刊ゲンダイ)by 田中幾太郎
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東大が推薦制度を導入したのは2016年度。特定の分野で傑出した能力や意欲を持っている人材を発掘するのが目的だった。
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'東大''教授'は''昨年11月に国立科学博物館の学術出版物に発表された悠仁さまの論文「赤坂御用地のトンボ相」は「調査に10年以上かけた秀作。その粘着質に頭が下がる」と評価する。'
東大が優秀な人物を入学させたいので推薦入試でも何でもやるのだというのは経営の自由で、卒業生だろうが何だろうがとやかく言う話ではないが、「身分に基づき日本国の民法や刑法が適用されない人物が、日本で最難関と言われる大学にペーパーテストを受けずに合格する」ということは、「差別」なので、卒業生だろうが何だろうが、日本列島在住者はとやかく言うべき話だと私は思う。
特別な身分を持たない一般庶民にとって、日本の入試は厳しい。不合格であれば一年間「無職の若者になる」というリスクを引き受けねばならない(「無職の若者」が嫌であれば別途ペーパーテストを受け別の大学の合格証を得て入学金と寄付金とを払って通学させていただいて自分の経歴に傷をつけないようにする必要がある)。女子学生はこれらのリスクに加え、「女子差別」の洗礼を乗り越えなくてはならない(優秀すぎてもバカすぎてもダメなのである。「いい塩梅に優秀」でなくてはならない)。日本国の民法や刑法が適用されない人物であれば、これらの縛りからは完全に開放される。替え玉受験だの、試験問題の事前購入だの、教授の頬を札束でひっぱたいて合格の確約を取るだの、やりたい放題のことができる。
以前から東大には特定エリートの子供は「不正入学者」だという噂があったそうだ。私は、かかる噂は自分が東大に在学していたときは耳にしたことはなかった。私は、この噂を、卒業後に、インターネットで知ったのである。
同様に、インターネットで、「優秀な女性研究者の子供は、超エリートお受験校に無試験で入ることができる」という噂を知った。それは、「子弟を超エリートお受験校に顔パスで入れることのできない女性研究者は優秀ではない(=将来を嘱望されるような人物ではない=無駄に税金を食い潰すお荷物)」というような話であった。「エリートお受験校に無試験で入る」などということは「そもそも受験しない」ということなので、私はさっぱり意味がわからなかったが、小池都知事の話から派生したに違いない「新手のミソジニー系の与太話」だろうと思って、記憶に残ったのであった。
きょう『悠仁さまは一般入試を一度も受けず難関名門高に入学…皇室でも“例外”は許されないのか?』を読んで、その噂が「ミソジニー系の与太話」ではなく、「大学が必要と考えた女性研究員や教員の子を付属校(幼稚園~高校)に受け入れる制度」のことを指していたのだなと思ったのだが、合点がいったとか、腑に落ちたとかというのとはかけ離れた、非常に複雑な気持ちになった。もし私が「ミソジニー系の与太話」だと思い込んだ「噂」が真実「大学が必要と考えた女性研究員や教員の子を付属校(幼稚園~高校)に受け入れる制度」のことを指していたのだとすると、それはずいぶん「本質から外れた話」だと思うからだ。本質は、「日本の受験界において皇室メンバーが特別扱いされている」という話である。それが、なぜ、「女性研究者」の「能力の高低」の話になったのだろうか? どこをどう読めばこの話を「女性研究者」の「能力の高低」の話に完全に置き換えられるのか? まさか、「皇室への不満」を「女性叩き」でごまかそうというプロパガンダではあるまいな...?
私は、入試という制度において、「試験を受けて合格する必要のない人物」がいるのであれば、その入試は、「選抜」ではなく、「差別」になってしまうと思う。推薦入試も、「特定の大学や学校に通えるだけの資金力がない家庭の、しかし優秀なことで知られる子供」が利用するからこそ、社会の構成員の誰もが「機会の平等」という「社会上の公正な理念」が実現されたものだとみなし、納得するのではないかと思う。
お金持ちの、特別な身分の生徒さんは、ご自分が「東大レベルに優秀だということを証明する」ために、なぜ、「ふつうに東大のペーパーテスト受けてふつうに受かる」ことを試みられないのであろうか? 私が東大に在学していたころは、東大生のあいだでは、「東大に文句を言いたければ、まずは自分が受からなきゃね」みたいな言い方がされていた。合格することによって、庶民は、「そのレベルでは優秀」ということを世間様にようやく証明でき、「発言権が得られる」という認識が共有されていたわけである。
もっとも、私は、現在、その認識はちょっと違うかなと思うようになっている。東大に入ることによって優秀だということを証明できるのは、「ど庶民だけ」だと思うのだ。日本は「地位に基づく強制」が効く国だから、「地位のある人物」は不正をしている可能性が高いと思うのだ(噂に左右されているわけではない。しかし、噂をただのプロパガンダだと思うこともできない)。地位や身分や「コネ」がある場合、「東大に入りました」ということは、「不正をしました」とイコールである可能性が否定できない(都知事のカイロ大学主席卒業のように、「出ました」ということも「不正をしました」とイコールである可能性が否定できない)。
もちろん、私自身の実体験では、東大にそのような人物がいるという確証はない。東大で「優秀ではない人物」を見たこともない。しかし私は当時すでにオタクだったので、「知っている」と言える範囲が非常に狭く、実体験などはあまりあてにならないのである。
「東大の推薦入試」は、「東大は学生として天才を欲しがっている」ということなのだと思うが、天才は天才であるからこそ、東大とは無縁なのではないか? 朝ドラの主人公のモデルとなった植物学者や、「さかなクン」のような「本物の天才」であれば、それこそ東大などという「裏書き」は必要がない。「天才」は、その業績によって、必ず頭角を表すのである。一般世間には名前が知られていなくても、その分野に深く(あるいは長く)関わっている人物たちのあいだで「スター」になっている(ニコラ・テスラや
Mikeさんのように)。「東大」(とかそれに類するエリート校の合格実績やら卒業証明書やら)の「裏書き」を必要とする人物は、それだけで「一見優秀だが(あるいは世間に優秀だと認められたがっているが)、天才には至らない人物である」ということを証明していると思う。東大は、残念ながら、私レベルの(私に毛が生えたレベルの)学生が集まるような場所なのではないか? そして、東大は、それでいいのだと思うが、どうなのだろうか。