兵庫県知事の問題で、見解を聞かせてほしいという依頼があった。
ひとつは、「兵庫県知事との仕事がらみで人が死んでいるが、あなたは自殺だと思うかどうか」ということだ。
私はいくつか記事を読んだが、自殺か他殺かは(記事だけでは)判断できなかった。「亡くなったこと」と、「故人の(知事がらみの)仕事」とのあいだに明白な因果関係があるとは思ったが、警察であれば外形的に「自殺」と言わざるをえないような亡くなりかたをしたのだろう。
なお、今回の事件とは無関係だが、過去の事件のなかに、「自殺だと報道された」が、私が明確に「他殺を疑っている」事件は、ある。しかも、複数ある。
過去にこの認識をツイートしたことがあったので、今回ご質問をくださったかたがTwitterユーザーであれば私にその手の感触を持たせた事件があることをご存知かもしれない(つまり、ご質問くださったかたはTwitterユーザーかもしれない)と思い、この内容をツイートしておいた。
https://nitter.privacydev.net/RainbowLinkInc/status/1831720904931573991私は、政府の存在を前提とするなら、「自殺」と「他殺」の中間に、「警察と民間が組んで調査を続行する時効なし案件」という領域を入れる必要があると思っている。私の考えでは、それが「人権を守る」ということなのだ。
https://nitter.privacydev.net/RainbowLinkInc/status/1831721767087567020警察が動ける領域と、民間人が動ける領域というものがある。両方が動かないと解決しない事件がある(お蔵入り系の事件のほとんどがこれに該当する)。
記事を読んでいて、知事には、「法令違反が疑われる仕事ないしはそのプロセス」が複数指摘されていることも分かった。違法性の程度が高かろうが低かろうが、知事という職務にある以上、「知事の職に不適格であること」が強く推認される事態である。いまだ辞任しないというところに、知事の法理解や認識がうかがえると思う。
兵庫県職員は、「俺様が法律だ」「つべこべ言わずに俺の言うとおりにやれ」といった時代錯誤の人物を相手にしている可能性が高い。この手の人物とのトラブルは、私は「言論」で解決するような次元の話ではないと思う。仮に「自殺した」とされる人物たちが真実「自殺された」のであれば、「自殺した」とされる人物たちは、知事とのトラブルを解決するために「現代の法」や「言論」を本気で信頼した(法や言論を解決ツールとして自分の希望を託して利用した)と考えられる。