今年ノーベル経済学賞を受賞した学者が、「日本人はなぜこの30年のあいだ政治経済の失敗について憤り反抗し立ち上がらなかったのか」という趣旨のことをおっしゃったそうだが、私は逆に、その学者さんがなぜ日本の「失われた30年」をご存知であるにもかかわらず「天皇制の植民地ではしめつけがきつくて庶民は反抗することができない」というところにお気づきにならなかったのか、と、疑問を持った。日本の「失われた30年」をご存知であれば、そんなことくらい簡単に気づけそうなものである(*)。
さらに言えば、日本人のなかにも、「『天皇制と結託したカルト』による統治に由来する植民地経済の失敗」に立ち上がった人物はいる。カルトに財産を蝕まれ、家族を自殺に追い込まれて、好むと好まざるとにかかわらず「立ち上がらずを得なかった」人物もいるが、この人物に至っては、カルト信者によって現在「テロリスト」と呼ばれている。日本では、「経済的搾取に対する反抗」は「テロ」と呼ばれており、末期的な状態だ。
日本人は、「立ち上がった同胞の事件」ののち、カルトを見分けられるようになったはずである。それにもかかわらず、日本人のなかには、いまだにカルト信者を見分けられず、カルト信者がSNSで「日本人は日本語を捨てて英語を公用語にすべき」などと主張していても、「立派なことを言っている」などとありがたがり、カルト信者の有料記事に「お布施」している者もいる始末だ。
ロシア人なら、「ロシア人はロシア語を捨てて英語を公用語にすべき」などと主張する同胞には、「おまえ、西側の工作員だろ? 」と問うだろう。そしてプーチン氏は言うだろう、「英語を公用語にしたら、あのばあさんはどうやって暮らしてくんだ? お前さんにはばあさんや母さんはおらんのかね? 」
(*)はっきり言えば、「気づけないわけがない」のである。私の考えでは、その学者さんは、「あえて気づかないフリをしておられる」のだ。なぜなら、「問題提起レベルのことが一番楽だから」である。学者さんの研究本拠地は、「他国を植民地支配している国」に違いない。その学者さんは、自分の研究の結果、自分の研究本拠地の政府を追い込むことにならないように、「鉛筆の先を舐めた」というわけである。「気づかないフリ」は、学者の典型的な「角丸行為」である。
しかし、私は、あえて言っておきたい、問題提起レベルの仕事は学者の研究ではないと思う、と。それは、かけだしのジャーナリストがやる仕事である。