いま、たまたま『映像の世紀』を観た。愛新覚羅溥儀が「西洋的生活」「西洋旅行」の実現の金策のため、また、日本人やロシア人に騙されたりして、お宝を流出させたという話であった。
中国の書画は魅力的なものが多いので、世界中にファンがいるのはわかるし、私も手に入れてじっくり眺めることができたらどれほど素敵だろうとは思う。
しかし、中国の書画は、中国人が持っていることに価値があるのだ。日本人が持っていても「しょうがない」のである。
中国の書画のうち、歴史的価値の低いもので、かつ、中国人が、自由意志で、「日本人のあなたへ」という形で、私を名指ししてプレゼントしてくれたものであれば、唯一、「日本人の私が持っていることに価値がある」中国の書画になる。
歴史的価値の高い中国の書画は、中国に「あるべき」ものだ。永遠に、持ち主は、中国人なのだ。
毎度のことであるが、『映像の世紀』などのNHK番組は、掘り込みが浅いので、私は観終えたあとで「時間を無駄にした」と思ってしまう。今回も、愛新覚羅溥儀を機関として利用しようとした悪辣な日帝についての堀込みが浅かった。そこはもっと掘るべきところであった。満州がアヘンビジネスのハブであったこと、そのことに溥儀が気づいていたのかどうか、そういうことが日本人の知りたい「情報」である。