『X』でアメリカ人が教育制度について議論しており、「アメリカの凋落」を嘆いておられることがわかった。そして、私は、「アメリカ人は、(たとえ凋落したとしても)、東アジア式の『人生の楽しみ』と『成功』とをバーターにする教育を子どもに強いるべきではない」という趣旨の意見を見て、大いに賛同した。
そもそも、私は、「アメリカの凋落」や「中国の返り咲き」は、「教育制度の優越」の話ではないと思う。
アメリカ人は賢い。アメリカ人が「アメリカの凋落」を嘆いておられるのであれば、「あなたたちは充分賢いので何も心配することはないよ」と言ってあげたい。
なお、アメリカ人だけではなく、中国人も賢いし、中東人もインド人もアフリカ人も東アジア人も東南アジア人も南アメリカ人も全ヨーロッパ人もロシア人も賢い。正確には、「賢い人は賢い」のである。「人種や受けた教育のいかんを問わず、賢い人は賢い」のである。私は、「それだけの話」だと思う。
「大学ランキング」のようなものは、人間の賢さを正確に補足しているわけではない。強いて言えば、「中国人はそのランキングを上げることに価値を置いているのだな」ということしかわからない(もちろんこの事実は中国人が優秀ではないということを意味しない)。はっきり言わせてもらえば、「大学ランキング」は、大学業界の宣伝広告でしかない。
もっと言えば、「高い教育を受けた人は、その結果として**を得られる」というのは、ただの「統治ツール(従順飴)」にすぎないと思う。私の考えでは、ワールドワイドに、人種を問わず、人間が「**した人は、その結果として**を得られる」という公式で納得できる内容はただひとつ、「みなが嫌がる仕事をした人は、その結果として高報酬を得られる」だと思う。
私は、社会は、「みなが、『自分がやりたいこと』や『自分がやれると思うこと』をそれぞれやって、みながそれなりに報酬を得られる状態」になるのがよいと思う。「私ができないことをできる人」は、「私ができることができない」こともある。たとえ「すべてができる人」でも、「時間との戦い」には勝てないことのほうが多い。人間は、それぞれの個性や能力を生かして「助け合うことができる」のである。人間は、戦争する必要もないし、隣の芝生を羨むこともない。
私の考えでは、中国が大国に帰り咲いたのは、「教育がよかったから」「政治がよかったから」ではなく、「リーダーが悪い奴を詰め切ったから」だと思う。悪い奴が世襲型エリートでいたら、社会から活力や希望が失われ、西太后時代と何も変わらなかったと思う。中国はもともと大国で「底力」があったので、社会に活力や希望が戻れば「勝手に復活」するのである。
また、アメリカから魅力的な製品が生まれてくるのは、「アメリカ人が楽しみに背を向けないから」だと思う。
中国人とアメリカ人は、よく似ている。放置すれば、放置するだけ、勝手にいろいろおもしろいことをやると思う。中国人がアメリカ人なみに「楽しさ」を追求しだせば、中国人はユニークな楽しいものをたくさん生み出すだろう。