私は、柴田哲孝氏の『下山事件 最後の証言 完全版』が好きである。ただ「好き」なのではない。『下山事件 最後の証言 完全版』こそが、私の「日本語で書かれた一番好きな本」なのである。
▼『下山事件 最後の証言 完全版』(at Amazon | kindle版あり。私はkindle版で読みました)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B00ZZ338R4柴田氏の最新刊『暗殺』のことは、出版直後という時期に、私はTwitterで存在を知った。版元の社長が故安倍晋三元首相の取り巻きとして有名な編集者(角川春樹社長と並び称される「業界の風雲児」と呼ばれた名物編集者)だったので、買うのを躊躇していたが、好奇心に負けてとうとう先週購入した。(本ひとつで「好奇心を刺激して財布を開けさせる」などということができるあたりは、「さすが見城社長」ということもできるところではあるが...)
きょうの午前中にようやく時間ができて読み始めた。最初からしんどかったが、106ページまで読んで、かなり辛くなってしまって本を閉じた。
柴田氏の著作なので、当然のことながら、文章はお上手である。ストーリー展開も素晴らしい。
しかし、柴田氏が版元の社長のアドバイス(あるいは社長を通して送られてきた「政府の声」)を聞き入れてしまったぽいと思われるくだりがハッキリ分かってしまうところが、私にはしんどいのである。『下山事件 最後の証言 完全版』を読んだ自分には、「これは柴田氏の文章ではないな」と分かってしまう部分が存在する。しかも、「その部分」は、明確にプロパガンダなのである。
まず、安倍晋三氏は「誰からも愛された政治家」ではなかった。また、小説ではトランプ政権時代に安倍晋三氏が統一協会(=統一教会)にビデオメッセージを送った理由が「トランプ氏に懇願されたから」ということになっているが、その設定も、あまりにも非論理的で、常に事実や証拠から一番妥当な解釈を得ようとしてこられた「推理達者」な柴田氏らしくない。すでに日本人の多くが知っている事実はこうだ: 安倍晋三氏は、「トランプ政権前」から、政治家の職にありながら、統一協会(=統一教会)にビデオメッセージやら祝電やらを送っていた。
『Twitter』ユーザーであれば、安倍晋三氏がビデオメッセージやら祝電やらを送るだけではなく、統一協会(=統一教会)の機関紙(広報誌)の表紙を複数回飾っていたことをも知っているだろう。この事実を知っている『Twitter』ユーザーの多くは、私がかつて「政治系ついったらー」と呼んでいた人々で、柴田氏の著書のよい読者層であると考えれる人々である。私が柴田氏の編集者なら、このあたりの読者が柴田氏に期待するもの(「推理達者」なところ)を裏切らないように気を配るだろう。
話を戻すが、トランプ氏と安倍晋三氏では、統一協会(=統一教会)との関わり方の「長さと深さ」が違うのである。統一協会(=統一教会)について「アドバイスを垂れる側」は、安倍晋三氏である。トランプ氏ではない。
トランプ氏と安倍晋三氏では、統一協会(=統一教会)との関わり方の「長さと深さ」が違うと書いたが、もっと言えば、それは「深刻さ」と言ってもいい。安倍晋三氏と統一協会(=統一教会)には、「切れない人的関係」がある。
安倍晋三氏は、岸信介の孫である。岸信介は、統一協会(=統一教会)創業者と「義兄弟」の契りを結んだCIA工作員である。岸信介は、戦前は満州=ミャンマーデルタの麻薬利権統括者であり、戦後はCIA工作員であった。岸は、「自分の懐を肥やすためならなんでも利用する男」であった。現在世に流通している用語の定義からあだ名を考えるのであれば、「妖怪」よりも「サイコパス」に近い。
岸は、「箕山社」などというあたかも箕作家(天皇家)を盛り立てお支えするかのような社名の会社を起業したが、私が見るところ、岸は、私服を肥やすために「天皇制システム」を上手に利用した人物である。箕作家が「国家というシステム」を最も上手に利用した一族であるのであれば、岸一族は、その次くらいに「公」をうまく自分のために利用した人物である。
島国日本にあっては、箕作家や岸信介のやり口は、「破格」である。
「日本人とは思えないようなやり方」と言ってもいい。
日本人は「皆が知り合い」的な社会(もっというと「嫌いなやつの親戚が自分の友達」的な社会)で生まれ育ってきたので、「公」は、「自分のつながり」の中にあるという感覚を持っている。よって、日本人が次のような感覚を脱ぎ捨てることはほぼ不可能に近い: 「社会のために存在するという建前で存在するものを自分が私物化しようものならすぐにバレるし、そもそも私物化などしようがない」
違う言い方をすれば、日本人は、「自分がよくなりたければ、周囲も引き上げなくてはならない」という「しがらみ」から逃れることはできないのである。日本人が「ぶっちぎり独走」を目指す場合、それは名誉欲や自己顕示欲を満たすためであって、金銭的ないしは社会的に「自分以外の人々」を踏みつけたいからではない。日本人は、うっかり自分が誰かを踏みつけると、それは自分の友達の親戚だったり、下手をすると自分の親戚だったりするので、結局自分に痛みが返ってくることを覚悟せざるを得ないのである。日本人は、いわば「因果応報」を「事前予測」せざるを得ないような関係性の中を生きている。
「戦中派」世代は、我々現代人よりもはるかにそうした関係性を意識しながら生きていたと考えられる。なぜなら天皇政府がこの関係性を利用して軍隊を組織していたからである。庶民を集めて作られた陸軍は、「郷土」を中心に組織されていた。銃後は「隣組」で相互監視させられていた。
日本人は、こうした日本人の関係性を自分の利益のために「利用」することは、自分の社会に唾を吐きかけるも同然であると考える。それは、日本人にとって、「本物のタブー」なのである。
こうした「一般日本人」との比較から、私の考えでは、岸信介は、「頭がいい人物」というより、「日本人離れした人物」であると評価するのが妥当である。
岸信介が築いた「統一協会(=統一教会)を政治的に利用するシステム(一般信者から「巻き上げる」「吸い上げる」システム)」と「ミャンマー利権」とを引き継いだ人物こそ、安倍晋三氏であった。安倍晋三氏は、統一協会(=統一教会)を政治的法律的に保護するいっぽう、統一協会(=統一教会)から多方面(資金面、票、人材面)で支援してもらっていた。安倍晋三氏は、統一協会(=統一教会)から「吸い上げた」金や票を配分してやった自民党議員の事務所に、「無給の秘書」として統一協会(=統一教会)の信者を送り込んだ。秘書は、統一協会(=統一教会)の広いネットワークを生かして、地方の「町おこし」の提案書を作成し、議員の「議員活動」を支えた(違う言い方をすると、"統一協会(=統一教会)は、自民党議員を通して、統一協会(=統一教会)の教義ーー「イブたる日本はアダムたる韓国に尽くさなくてはならない」ーーを実現した")。議員のなかには、「秘書として便利に使う」などという「気楽な」状態ではなく、「『統一協会票』が入らなければ自分は当選できない」という切羽詰まった自覚を持たされている議員もいた。
つまり、自民党と統一協会(=統一教会)は、一心同体の関係なのである。どちらかが倒れれば、もう一方も倒れるという関係である。
それは、「自分の周囲が倒れれば自分も倒れる」という関係性を念頭において行動する日本人が構成する「日本人の社会」と相似である。
日本という島国のなかには、「よく似た性質のふたつのコミュニティ」が存在しているといってもいい。天皇は、このふたつの社会ーー「日本民族が形成する島国根性血縁社会」と「自民党と統一協会(=統一教会)が形成する韓国を崇め奉る社会」ーーの頂点にいる。天皇は、ふたつの社会から金銭的な利益を得ている。しかし、天皇は、ふたつの社会の「統合」の「象徴」ではない。なぜなら、島のなかに存在するこのふたつの社会は、「分断」されているからである。
天皇は、むしろ、ふたつの社会の「分断」の「象徴」である。
以上のようなことから、私は、トランプ氏と安倍晋三元首相の「蜜月」は、統一協会(=統一教会)の金が生み出したものだと評価するのが妥当だと思う。私の推理では、安倍晋三元首相が、トランプ氏に、「統一協会(=統一教会)にメッセージを送れば金をもらえるよ」と指南したのだ。「トランプ氏が安倍氏に懇願した結果、安倍氏が統一協会(=統一教会)にビデオメッセージを送った」のではない。それは、事実関係をみる限り、「真逆」である。
この「事実から推理できるところとは真逆の設定」は、私が見るところ、柴田哲孝氏が編集者とともに「逆張りで小説をおもしろくしてみました」というたぐいの「しかけ」「ギミック」ではない。柴田哲孝氏は、推理力が冴えているだけでなく、地道に調べる能力が高いことで政治マニアにも認められている日本屈指の作家である。この「事実から推理できるところとは真逆の設定」は、私の考えでは、作家柴田哲孝の「実績」と「才能」と「定評」を利用した壮大なプロパガンダである。