▼権威について その1は、コチラ
https://mesh2.net/display/?mid=https://mesh2.net/item/5521c587-c32d-454e-9b0f-ee7431c85e29きょうは、その続きのような話をしたい。
OpenAI が search engine を出すというので、私は、waiting listに登録した。
▼『
SearchGPT』
https://chatgpt.com/searchSamさんと
OpenAIが「情報って、信頼できる出典がだいじだよね。わかってるし」とおっしゃっているので(
source:
https://openai.com/index/searchgpt-prototype/)、私は、どのようにランキング処理するのかを、とても楽しみにしている。
私は、
OpenAIが既存の「権威」をinformationのauthorityとして扱わないように、「既存の権威リスト」を作って、あらかじめマイナスの点数を与えておくのがいいと思う。匿名ユーザーの匿名情報と同様にマイナスの点数を与えておくのだ。そうでなければ、せっかくの技術が「既得権益層を利するツール」(=「既得権益層がその他大勢を搾取することを容易ならしめるツール」あるいは「既得権益層をして直接その他大勢を搾取せしめるツール」)に堕してしまうだろう。「既得権益層を利するツール」のことを、本稿では、便宜的に、まとめて「支配ツール」と呼ぶことにする。
「既存の出版社」で高評価が確定しているのは、『
WikiLeaks』社だけだと私は思う。『
WikiLeaks』は、ジャーナリズムをまさに「体現」しているからである。
私は、学生時代、自分の属する社会とそれを支える政治システムについて本当のことを知りたかったので(このままだと一生何もわからないままだということに気づいたので)、切実に「ジャーナリズム」を必要としていた。しかし、同時に、政府のある社会において「ジャーナリズム」というのは「理想」にすぎないと思った。悪く言えば「絵に描いた餅」にすぎないと思ったのである。よって自分が出版社を起業して体現してやろうと考えたのだが、大学を卒業して起業準備に入り、競合調査を開始したところ、しばらくして、出版社というのはどこまでも「支配ツール」にすぎないのではないかと思うようになった。果ては「民主主義の形態を保つための部品にすぎないのではないか」とさえ思うようになったが、『
WikiLeaks』を見て、考えが変わった。政府のある社会においても「ジャーナリズム」は成立するのだと分かった。
なお、個人においては、「既存の出版社から出版している」という事実は、マイナス評価になりうると私は考えている。なぜなら、私は、統一協会(統一教会)の信者さんが既存の出版社から「信者であることを隠して」出版していることを知っているからである。
私は、出版社起業準備時の競合調査の実体験から、日本人が、「既存の出版社から出版している」という事実を評価すること(そのことについて本質を見極めること)はなかなか難しい作業だということを認識している。だから、自分以外の誰かがそれを評価できなくてもしかたがないと思うのだが(私は、自分ができないことや、実際にやってみて難しかったことを他人が簡単にやってのけることを期待しないようにしているからだが)、同時に、矛盾するようであるが、日本人は、政府のある社会を生きている限り、このことについて、ある程度個々人が確固たる見解を持たなくてはならないとも思う。私は、mRNA薬剤事件(世間では「コロナパンデミック」「コロナ禍」と呼ばれている)を見て、日本では、「既存の出版社から出版している」という事実をもって「当該業界の権威」であると受け止める人々が多いように感じた。そして、mRNA薬剤事件は、「既存の出版社から出版している」という事実をもって「当該業界の権威」であると受け止めるような心性を持っていると、薬害被害者になる可能性が高いことを示唆した。
私は、一般的な日本人が「出版と権威の問題」について確固たる見解を持つことは難しいことだとみなしているが、「日本の地上波に乗るテレビ番組」が権威とは程遠い存在であると認識することは、現在、誰にとってもそれほど難しい作業ではないと思っている。日本のテレビ局の起源について知らなくても、山上さんが実行犯に仕立て上げられた事件(*1)によって、「地上波に乗るテレビ番組」の有名なもののひとつが統一協会(統一教会)のやらせ型協力がなくては成立しなかったことを多くの人が知ったからである。
山上さんが実行犯に仕立て上げられた事件(*1)ののち、自民党が、統一協会(統一教会)と「義兄弟」であるということも多くの人に知られるようになった(私も初めて知った)。自民党は、岸信介の時代から、「勝共(いわば「アンチ共産主義者同盟」)」を口実にCIAから資金援助を受けて日本の与党として君臨してきたので、自民党が与党である限り、日本の社会システムとして、統一協会(統一教会)には「特別扱い」が発生する仕組みになっている。「特別扱い」というのは、一般日本人よりも政治システムに優遇される仕組みであるから、それは差別であり、政府のお墨付きを得たという言葉で表されるタイプの「権威づけ」でもある。
統一教会(統一協会)が認知症の高齢者に自分たちに財産を寄付させる契約を結んだうえ、当該高齢者に今後一切このたびの契約について法的措置を取らないという念書を書かせ、その様をビデオに撮影したという行為が、最高裁判所で違法認定されるまで、2つの下級審で合法判定されていたことをよもやどなた様もお忘れではあるまい。私は、この「差別の仕組み」も、現在、日本人にはほぼ確実に、容易に認識できる事柄だと考えている。
統一教会は「法律上の宗教」だったが、「いわゆる宗教」ではなかった。いまここで「いわゆる宗教」の話をするのでれば、私は、宗教は存在してもいいと思う。同じ道徳観を持つ人々が集まってコミュニティを作りたいというのは、人間の本能的な希望に違いないと思うからだ。宗教を持ち、自分も社会も「よりよく」ないし「心地よく」あろうとするのは、私は、人間の「本能」のなかでも、好意的に評価できる「本能」だと思っている。
私の考えでは、宗教の問題点は、「一般信者」と「権威ある信者」の「区別」ができたのち、その「権威ある信者」が、「世俗権力」と結託した場合に生じると思う。それまで「宗教」はみんなの「コミュニティツール」「インフラ」として存在していたのに、それが「支配ツール」に堕して、コミュニティやそのメンバーを潰し始めるからである。
人間が生きている限り、「コミュニティ」は生まれる。私は、その「コミュニティ」が、自分も社会も「よりよく」ないし「心地よく」あろうとする人々の「コミュニティ」であるならば、その「コミュニティ」に「権威ある人(々)」がいてもいいと思う。なぜなら、その「権威ある人(々)」は、たいてい「創立者(創立メンバー)」にすぎないからである。「権威ある人(々)」が「コミュニティメンバー」の「よりよく」ないし「心地よく」という根源的な希望を潰さなければ、何も問題は発生しないのである。
世の中には、いろいろな才能を持った人がいる。人間に序列をつけることは非常に難しい。しかし、同じ業界で似たようなことをしていると、「この人は、天才だな」と思う人が出てくる(たとえば、私にとっての
Mikeさんのように)。「働いているうちに自然に生まれた敬意」は、私は、生き物としてのヒトが持つ尊い感情の一つだと思う。よって、「権威を否定する」という行為が、こうした「生き物としてのよろこびの火」を消すようなものになってしまってはいけないと思う。
(*1) 「山上さんが実行犯に仕立て上げられた事件」は、世間では『安倍首相銃殺事件』と呼ばれている。メインストリームメディアはこの事件を、なぜか『安倍首相銃撃事件』と呼んでいる。「銃撃」は、「安倍氏が死亡した」という結果が未だ生じていないことを前提とした言い方である。私は、「傷害」と「傷害致死」は別物であるから、メインストリームメディアの『安倍首相銃撃事件』は、間違った呼び方だと思う。メインストリームメディアは、山上さんによって安倍氏が山上さん手製の銃によって殺されたということを事実として報道したのだから、『安倍首相銃殺事件』と呼ぶべきである。